悠久の時の中――
火、水、風、土の四大クリスタルは光り輝き、
世界中を照らし続けていた。


はじまりは火のクリスタルだった……。
次いで土のクリスタルまでもが急速に減衰し、
火山は荒れ狂い、いくつもの大陸は海に沈んだ。


これを〝大崩壊〟という。






わずかに残った土地と資源、そしてクリスタルを巡って、
世界中に紛争が勃発し、〝鉄騎同盟〟が台頭した。


同盟の圧倒的な武力をもって土地を追われた地方勢力たちは、
〝光の連合〟を結成して、生き残りを図った。


水の勢力、リプローエルの若き姫君主に二つの凶報が入る。
奉戴する水のクリスタルに大きな亀裂が走ったこと。
そして、同盟がリプローエルに向けて大規模な軍を発したこと。
クリスタルを機軸とする文明は滅び去ろうとしていた。






  プロローグ

 そのとき、アルクは光を見た。

 それは光の渦だ。
光の渦を背に、とても小さな少女が手を伸ばしている。
背に薄い翡翠色の羽を広げた、その姿は妖精、あるいは精霊。
色素の薄い髪に、羽と同じ翡翠色の眼鏡をちょこんと乗せているのが、似合っているようにも、どこかアンバランスにも見える。
そして、その人形のように整った顔には、静かな笑みが浮かんでいた。
 それは哀れみか、慈愛か。あるいは両方か。

 光の渦はうねり、波うち、その大きさを増していく。

「………………………………!!

 アルクは声を上げた。自分に手を差しのべている、小さな少女に。

光の渦はうねり、波うち、その大きさを増していく。

 少女を包みこむように、広がり、光の粒子を振りまきながら空間に渦を巻く。
 すべてを飲みこむように。

 まっすぐ伸ばされた少女の小さな手に、アルクもためらいなく手を伸ばす。

 そして、その手は彼女の手を――――……。





一章


  1

 ふと気づくと、遠くを見ていることがある、とリンネは思う。
 アルクのことだ。
 ――〝遠く〟。
それは、街並みや、山々、あるいは空を見ている、といったものが普通だろう。
だが、アルクは、屋内においても時折〝遠く〟を見ている。
 外の景色を見ているわけでもなく、ぼんやりとどこか遠くを見ている、そんなふうな様子、表情。ときには手元を見ているときでも、その顔をしていることがあった。
 だから、それは実際に遠くを見ている、というより遠い眼差しをしている、といったほうが正しい。こちらの話を聞いていないのか? とリンネは思ったが、確かめてみるとそうではなかった。
話しかければ、きちんと言葉は返ってくるし、その内容も的確だ。
(光の渦を抜けたせいかしら……?)
 リンネは思う。
(……あれだけ、奇怪な現象を体験したんですもの……受け入れられないのも無理はないわ。いや、受け入れられないのは、むしろ、光の渦……私たちが出会う前の出来事かもしれない……)
 リンネはアルクと出会った、あの場所、砂漠の中の古代書庫を思いだす。
 そこで彼は――アルクは多くのものを失った。一度に。立て続けに。
それは、もしかすると彼にとって〝すべて〟と言っていいかもしれないほど、多くのものを。なのに、その様子から悲しいとか悔しいとか、そういった感情が強く伝わってはこない。まるで何事もなかったかのように。
出来事そのものを覚えていないかのように。忘れてしまっているかのように。
でも忘れられるものだろうか、とリンネは思う。
容赦ない銃撃の雨、冷酷な祖国の滅亡を告げる声。あの喪失と絶望を。

「アルク、また出かけるの?」
リンネはアルクに声をかけた。現在二人は、テント……土地によってはゲルやパオなどと呼ばれる組み立て式の簡易住居で起居している。広さもあり、生活のための調度品や寝台などもそろっていた。
背中の羽を動かし、宙を滑るように彼の元へ行くと、アルクは外出用の士官服に袖を通しながら「うん」と返事。彼は無口だ。気難しい、というよりは、どちらかというと無駄な言葉を発さない人柄だとも見える。
「そう、私も行くわ」
リンネが言うと、アルクは慣れた様子で、こくんと頷いた。光の渦を抜けてからこんなふうにして二人で出かけるのも、もう〝日常〟と呼べるほどになっていた。
 二人はテントを出た。

  2

 そこは強い陽射しが差す、街の一角だ。
人で賑わい、行き交う声と足音が耳に飛びこんでくる。柔らかな風が通りを吹き抜け、テントを出たリンネとアルクの肌を撫でた。
ここは砂漠の東端に位置する街だが、吹く風は優しく、潤いを含んでいる。大陸の東西を分ける立地にあり、交易が盛んなため街は活気にあふれ、生活する人々の顔は明るい。
アルクは軽く目を細め、
「やっぱり、違うな。この風」
(あ、またあの顔だわ……)
遠くを見る顔、眼差し。けれど、視線の先の街並みや、その向こうの砂漠を見ているようでもない、そんな表情。
なにを見ているのだろう。なにかを見ているのだろうか? とリンネは思う。
アルクは黙って街の広場へと歩いていく。――きっと、また〝仕事〟を受けるつもりなのだろう、彼は。
 光の渦を抜け、砂漠で行き倒れているところを助けられ、アルクはこの街に着いた。そして、街の人に勧められるまま、一度、仕事を紹介されて以来、彼は依頼を受けるようになっていた。
 なにを考えているのかわからないが、あるいは、困っている人を放っておけない性質なのかもしれない。
 リンネにとってアルクは、そんな掴みどころのない温厚でやさしい人物と映っていた。
(こんな見知らぬ土地で……)
そう思いながら黙ってアルクに付き従う。
もっと慎重に動いたほうがいいのでは、と案じもするが、慎重なだけでは自分たちが置かれた状況に対する何の手がかりを得られないこともわかっていた。光の渦を抜けて、はや半月。未だ、二人がわかっていることは。
――……そうか。ここは、僕たちの知らない場所なんだね。
行き倒れ、介抱されていたアルクは、拾われた人物の家で目を覚ました。そして、家の外に出たとき、ふと漏らした呟き。
彼が倒れている間、リンネも彼女なりに調べ、考え、辿りついた結論にアルクはすぐに至ったようだった。それも不思議だった。
リンネとアルクが出会ったのは古代書庫で、この街と同様砂漠の端に位置していた。〝魔法学園都市イスタンタール〟という。そんな街は知らない、自分が知ってるかぎり砂漠にそんな名前の街は存在しない、とアルクは言い切った。
自分がもらした呟きに、確証を得たように。

今日、アルクが受けた仕事は書類を運ぶことだった。
この魔法学園都市に巨大な図書館を建設する計画があるのだという。学園中に百は存在する図書館を統合するという大きな事業である。
出来上がってきたその図面を承認してもらわないといけないのに、肝心の教育学部長が学園に不在であるのだという。
砂漠にある遺跡へ発掘調査に赴いており、あと半月は戻らないという話だった。
「公国暦17年の今年中に、なんとしても建設をはじめたいんだよ」
依頼主である学園の職員は困り顔で、言った。
直接、教育学部長の元まで図面を運び、その場で了承を得てしまおうと、夜盗や魔物の危険をくぐり抜けて遺跡まで図面を届ける依頼を出したところ、アルクがそれを受けたというのだ。
リンネとしては、本音ではアルクに危険な場所へ行ってほしくはないのだが……。
と、ふとリンネは引っかかった。職員の言葉に。
(公国暦、17年――……?)

*  *  *

「すばらしい! まったくもって、すばらしいわ!」
 教育学部長の姿はイスタンタールから一週間、砂漠を進んだ先にある遺跡のそばで見つけることができた。
 名はマルナゲータ・マカシタという。深い洞察力と、教養と知識と、思いついたら即実行に移す直情的で直感的な面を併せ持った女性だとリンネたちは聞いていた。よく言えば行動力があり悪く言えば……扱いづらい人物であると。
 そばに来たアルクにも気づかず、マルナゲータの視線は遺跡に釘付けだった。
「あの、教育学部長さんですね?」
 何度目かの控えめなアルクの呼びかけも、まるで耳に入っていない様子だ。遺跡に熱い視線を送り、何度もうなずき、頻繁にメモをとっている。アルクの肩の辺りを飛んでいるリンネは時間がもったいないと、
――肩でも叩いて振り向いてもらえば?
そうジェスチャーで伝えたが、アルクは苦笑してかぶりを振る。声を潜めて、
「集中しているところを邪魔するのも悪い気がするからね」
「じゃあ、気づいてくれるまで、そうやって控えめに呼び続けるつもり……?」
「そうだね、少し離れたところでしばらく待ってようか」
 なんとも気の長い意見が返ってきた。
 任せてはいられない、と思うリンネだが、なら自分が、とするにしても残念なことに自分の姿はアルクにしか見えず、声も届かない。
〝クリスタルの精霊〟
神秘の存在である自分の姿は、選ばれた人間……ここでいうアルクにしか見えず、その声も届かない。自分にできるのはアルクに助言を与え、導くことだけ……一般の人への働きかけは、アルクに委ねるしかなかった。

――ここで〝奇跡の輝石〟を持つ者を待て。

 長い長い閉ざされた時間からリンネを解放してくれた〝老賢者〟の言葉。その言葉に従って古代書庫で彼を待ち、命を救うために光の渦へと誘った。自分には彼を守る使命と責任があると、リンネはそう考えているが。
「そんなこと言って、このまま日が暮れてしまったら……」
 また野盗や魔物が現れないともかぎらない、と苦言を呈しようとしたとき。
「本当にすばらしいわ!」
 割り込むようにマルナゲータの興奮した声。
「まさにルクセンダルク遺産、第3816番目の登録候補地に――って、あなたは!?
 微塵も気づく様子のなかった彼女の顔がアルクに向いた。
 それはあまりに唐突で、驚いたリンネの体が「きゃっ」と小さく跳ねたほどだ。だがアルクはわずかも動じず、丁寧に頭を下げる。ちらりとリンネを見る目が『よかった、気づいてくれたね』と笑っていた。
「はじめまして、マルナゲータ教育学部長ですね? 僕は学園からの依頼を受けた、アル……」
「ああ、巨大図書館の図面ね! わかったわ、見せてくれる?」
 アルクの説明も待たずに彼女は察し、片手を差しだす。たいした洞察力、とでもいうのだろうか。さすがに彼も小さく目を見開いていた。
早く、とマルナゲータは指先でアルクを急かす。ずいぶんせっかちらしい。荷袋にしまっていた図面をとりだし、アルクが手渡すと、すぐに開き、目を落とす。うんうんうんうんっと何度も素早く神経質に頷きながら、端から端まで検分していく。
(首を……痛めないのかしら……?)
 リンネはつい心配してしまう。だが、そんなことにはお構いなしで、マルナゲータはメモをとるのに使っていたペンを図面に走らせだした。
迷いなく、ためらないなく、いっさいの遠慮なく、縦横無尽に線を引く。
その口からは図面に対する不満と注文が矢継ぎ早に、
「てんっ…………でダメね~これでは! こんなんじゃ巨大じゃなくて、ただの図書館! この階とこの階の小講堂と、この無許可のサークル室をぜ~んぶ壊して繋げて、ああ、ダメダメ! こっちのホールと受付も……それにこの蔵書室も、もっと広く、広くして、こうして、こう! うんうんうんうんっ」
 口も手も止まらない。頷きも止まらない。
アルクとリンネは呆気にとられるばかり。言葉なく顔を見合わせ、ぱちくり瞬きをする。
 そして、ものの10分とかからないうちに。
「はい! ここまでしてようやく世界一を誇れる、巨大図書館!」
 マルナゲータは、うんうんうんうんっと神経質に頷き、
「……数千年後にも残る、人類の宝になり得るわ」
 確信をこめた呟きと共に、無数の修正線が引かれた図面を返してきた。満足げな顔だ。
 どうも、と頭を下げて、アルクは受け取る。
「じゃ、その書き直した図面を届けてちょうだい。ええ、今すぐよ今すぐ!」
 そう指示してマルナゲータは遺跡の中に去ってしまった。
まさに砂漠に吹く熱風のように。これから遺跡内部の調査をするのだろう。
「行ってしまったわね……」
「うん」
「すごい人だったわね……」
「うん」
 リンネの感想にアルクも頷く。なにに置いても淡白な彼とは対照的な人物だったとリンネは思う。アルクはどこか感心したように、
「……結局、僕の名前も言えずじまいだったな」
「そうね。でも、とにかく」
 リンネは話を引き戻す。
とにかく、この修正をもってマルナゲータの了承は得られたと思っていいだろう。どう修正されたのかは、アルクにもリンネにも関係ないことだ。だが、アルクが図面を覗きこんだので釣られてリンネも図面を眺めた。
「なんだか、もう……原形を留めていないようにも見えるわね」
あまりに多くの修正線が引かれていて、設計士でもないリンネには、どこをどう変えられているのか判然としない。解読不能な線の集合体に軽い頭痛すら覚えて、リンネが図面から目を離そうとしたとき。すっとアルクの人差し指が伸びた。
図面に。
図面に引かれた複雑な修正線に。
「ここが、こうで……ここと繋がって。こっちが中央ホール……」
「どうかしたの?」
 なにか気になることでも、とリンネはアルクの顔を見る。だが、彼の目は図面に向けられたまま、ただ指だけが動いている。
 奇妙な、リンネにはわからない熱心さで。
「……アルク?」
首を傾げ、再度、リンネも図面を見る。線をなぞるアルクの指を追う。その軌跡を。
そして。
リンネも気づくと同時に、アルクが呟いた。
「これ、古代書庫だ……!」
「今から建てられる巨大図書館が、私たちが出会った古代書庫……」
 光の渦を抜ける前、リンネが待ち続け、そしてアルクと出会った砂漠の中の大遺跡。
 数千年という時間を彼女一人で過ごしていた、膨大な書物の眠る書庫。
 リンネの意識が引き戻される。アルクと出会った、その時間へ。さらにその前へ。
〝大崩壊〟
 元いた世界で、クリスタルの喪失により起きた世界規模の災害。誰にも予見することのできなかった、その災厄を、リンネは止める旅をしていた。世界でただ一人、それが起きることを知っていた〝老賢者〟と共に。
 ――あなたは、だれ? 私は…………。
 長い長い閉ざされた時間、終わりない暗闇からリンネを解放したとき、老賢者が告げた。
 ――リンネ、おまえはクリスタルの精霊だ。
 その言葉で、リンネは自分が何者かを知ることができた。
〝リンネ〟という名を与えてくれたのも彼だった。
 老賢者は、世界を照らし支えるクリスタルの寿命に終わりが近づいていることを知っていた。老賢者とリンネは、クリスタルの砕滅を防ぐ長い旅を続けたが、それは叶わなかった。火のクリスタルは砕滅し、〝大崩壊〟は起きてしまった。
 旅の終わり、リンネを古代書庫へと連れてきた老賢者は、「ここで〝奇跡の輝石〟を持つ者を待て」と、それだけを言い残してナマミレスの砂へと還っていった。
 そしてまたリンネは一人になった。途方もない時間を孤独に過ごし、リンネは出会ったのだ。砂に埋もれ、もはや辿りつく者さえいないと思われた、古代書庫を訪れてきた……アルクと。
「――――――――――――」
 じっと、アルクが見つめているのに気づいて、リンネは我に返る。
 思わず、彼の胸に下がる首飾りを見る。
 不思議な輝きを宿す石、老賢者の言った〝奇跡の輝石〟であり、また〝想いの欠片〟とも呼ばれるもの。リンネとアルクを結びつけたもの。だが、今はそのことに感慨を抱いている場合ではない。
 アルク、と名前を呼んで、リンネは彼を見返す。
 見知らぬ場所、誰一人として自分たちを知る者がいない、自分たちが知っている者もいない場所。まるで異世界に迷いこんでしまったような、そんな気さえしていた。けれど違ったのだ。ここは、そう。
「ここは私たちにとって知らない場所ではないわ」
「???」
 首を傾げるアルク。それも仕方ないだろう、とリンネは思う。
 だが、もう間違いない。
学園職員が口にした〝公国暦17年〟という暦。
それを聞いたときにも、もしやと思ったが、これから建てられる巨大図書館……かつて自分たちが出会った古代書庫の図面を見て、確信に変った。
「ここは私たちが元いたのと同じ世界、ただし――……」
 公国暦17年。
 その年号が使われていた時代をリンネは知識として、知っていた。
歴史上〝クリスタルが最も光り輝いた時代〟として知られる、その時代、その世界。
その世界はこう呼ばれていた。
「ここは〝ルクセンダルク〟。私たちがいた時代から、八千年前の世界よ」
「………………!!
 こんなにも驚いた顔のアルクを、リンネは初めて見た。

  3

 寝台で横になっているアルクが、首飾りの先に取り付けられている石を見上げている。
 普段は胸に下げている首飾り。それを仰向けになって顔の上にかかげ、天幕を背景に不思議な輝きを宿す石をじっと見ている。
 石はかすかに揺れながら、きら、きら、とテント内の灯にきらめきを返す。
 しばしば遠い眼差しをする彼だが、石を見ているときだけは違った。静かな、透明な眼差しはいつも通りだが、そこには真摯な……祈るような感情が覗く。
リンネが老賢者から〝奇跡の輝石〟と教えられたその石は、アルクにとっては〝想いの欠片〟と呼ぶものらしい。
自分にその石を預けてくれた友がそう言っていたと――。
「昔さ」
 夜のテントに、ぽつりとしたアルクの声。
 自分に話しかけてきたのか、ただのひとり言かわからず、リンネは黙っていた。
「昔、本で読んだことがあるんだ。それはこの世界と切り離された別の世界の物語で、わくわくしながら読んだよ」
「そう……」
「この〝想いの欠片〟は、もともとひとつの首飾りだったものが2つに分かれたうちの片方でね、もうひとつの欠片を持つ者同士と、どれだけ離れていても意思の疎通ができる……連絡がとれるってものらしいんだけど」
「ええ、聞いたわ」
 アルクの話は飛び飛びで、彼がなにを言いたいのかわからない。リンネは、その先を促すように相槌を打つ。
「それで、エースも……。僕にこれを預けてくれたエースも、なにかの話のときに、小さい頃その物語を読んだことがあるって言って。あんまり、本とか読むタイプのやつじゃないんだけどね。あ、そう言ったら、ちょっと怒ってたな」
 少しくすぐったそうに、アルクの声に笑みが混ざる。
 エース、それはアルクの親友の名前だ。リンネもその姿を知っている。
 あの古代書庫で。
あの日、アルクは親友のエースと、その妹リズと三人で、死の砂漠を突っ切って古代書庫にやってきた。
アルクと兄妹は、幼馴染。いずれも〝光の連合〟に所属する国々の軍人で、人類の叡智を所蔵する古代書庫で〝鉄騎同盟〟に対抗する手立てを探す任務に志願したのだという。
「そうそう」
 話題がずれてしまったことに気づいたか、アルクは軌道修正する。
「『切り離された別の世界とでも、この〝想いの欠片〟でなら交信できるのか?』って僕の問いに、エースは得意げに『もちろん』とうなずいていたけど。リズは『そんなの確かめようがないでしょ』とたしなめていたな……」
 ふとリンネは思う。
 アルクは光の渦を抜ける前のことを忘れているのではない。忘れていることにしているだけでないのか、と。

 激しい雨のような銃声。絶望を突きつける冷酷な声。

「ね、リンネ」
「ええ」
 彼がこんなに自分から話すのは珍しい、と思いながらリンネは返事をする。
小さな羽ばたきでそばにいる彼女に呼びかけながら、アルクの目は石を見続けている。じっと、逸らさずに見上げている。
 なにも映しだすことのない、その石の表面を。
「……切り離された別の世界と八千年の時の隔たり、どっちが遠いのかな」
「アルク、それは――――……」
 どう答えたものか、リンネが言葉を選びながら口を開いたとき。ふっとアルクが石から視線を外し、テントの入口を見た。なに? と釣られて、リンネも小さな体ごとそちらを向く。と同時に。
「おい、アルクいるか!! 手を貸してくれ…………!!
 穏やかな夜の空気を裂き、声がして、入口の幕が跳ね上げられた。

*  *  *

 砂漠には野盗がいる。
 熱風吹きすさぶ砂漠を行く商隊や旅人を群れなして襲い、金品や食料を根こそぎ奪う悪辣な者たちだ。
現にアルクも仕事を受ける中で何度も出くわし、その都度、撃退してきた。砂漠にはいくつもの野盗の集団があるが、しょせんは無法者たちだ。協調性に欠け、個々で見れば大した脅威ではなかった――これまでは。
「そう、これまではな」
 イスタンタールのナダラケス砂漠側に土塁を築きながらジョバンニは言った。
「ほらほら、口を動かしてないで、手を動かしな!」
 そばにいる姉御肌の女性、ステイシーがはっぱをかける。
二人は、この界隈では名の知れた冒険家で、面倒見も良く、アルクに初めての仕事を斡旋してくれたのも彼らだった。
アルクの腕を買い、何度か共に仕事を受けたこともある。
荒っぽいところはあるが、信頼できる人物たちだとリンネも評していた。
――結集した夜盗の一団が、イスタンタールに攻め入ろうとしている。街を蹂躙されるわけにはいかない。戦いに不慣れな学生や市民も防衛にあたってくれているが、まずは俺たち自警団や冒険家の面々が先陣になるのが筋ってもんだろう。
テントまでアルクを呼びにきたジョバンニが、そう説明してくれた。
土塁の向こうには、盗賊たちが続々と集結してきており、軽く100名を超えているようだ。
「二人は……怖くないの?」
「怖くないって言ったら嘘になるけどな」
「じゃあ、どうして」
逃げ出さないのか、とアルクが口にしなかった言葉をジョバンニは酌んだ上で笑顔で返した。
「それはなぁ……俺たちが冒険家だからだよ!」
「――バカ、答えになってないじゃないか。そんなんじゃアルクも納得しないよ」
 ジョバンニに突っこみを入れるステイシーに、アルクも笑った。
「なんとなく、わかるよ。大丈夫」
「そうかい? ならいいけど……アルク、あんたこそ断ってもよかったんだよ。あんたはまだ街に来て、さほど経っちゃいない。義理立てする必要も――」
「お世話になってるからね。街のひとには」
 アルクの声に迷いはなかった。だが、その声には力が入っていない。
粗雑に見えて敏感なところもあるジョバンニが、不調に気づいて声をかけた。
「どうした、具合でも悪いのか? 無理はすんなよ」
 アルクは、青ざめた顔を見せまいと土塁の影に隠れながら「大丈夫」と小さく呟きを返し「無理と感じたら、すぐに退くように」と言うステイシーの言葉にも頷きを返すのが精いっぱい。
 その様子は、どう見ても万全ではなかった。二人に連れられ、ここに来るまではそんなことはなかったのだが。
 理由は、リンネだけが知っていた。
(そうね。この状況は、あまりに似すぎているもの。……あのときと)
 おい、また来やがったぜ、と周囲の誰かが言った。
それから間を置かず、ガラガラに枯れた野盗の声が、夜の砂漠に響く。
『イスタンタールを防衛する冒険家どもに告ぐ~! おまえらが抗戦しようが無駄~~』
 降伏勧告。
調子はずれの野卑ただみ声が、アルクとリンネには、あの冷酷な将校の声に聞こえてくる…。

――連合の兵士たちに告ぐ。お前たちは完全に包囲された。抵抗は無駄だ。

 降伏勧告。古代図書で、アルクに……アルクと二人の兄妹に突きつけられた、宣告。
 それはアルクの喪失と絶望のはじまりでもあった。
 宣告の主は鋼のような声で続けた。

 ――三日前、我ら鉄騎同盟軍は水の勢力リプローエルに侵攻した。頼みの綱の水のクリスタルは砕け散り、水の姫君主アスター56世は戦死……水の勢力リプローエルは滅亡したのだ!

 リプローエル、それはアルクの祖国の名だった。

『なぜなら~! おまえらは俺たちには~勝てねぇから~~~~~~~~~~~~!』
アルクとリンネは、ほぼ同時に我に返った。
土塁の向こうでは、今夜幾度目かの野盗の降伏勧告が続いている。
 当然、冒険家たちの中に相手にするものはいない。「けっ、その手に乗るかよ」とジョバンニが吐き捨て「やつらも痺れを切らしそうだね」とステイシーが土塁の向こうを見やる。
 アルクの顔はいよいよ青ざめていた。
(やっぱり、アルク、あなたは――……)
 なにか言葉をかけるべきかとリンネが口を開く。
 ……だが、それより早く。
「おい、来るぞ! いいな、街に入れるんじゃねぇぞ!」
 ジョバンニが叫ぶ。
その声と重なって野盗の大群が雪崩をうち、イスタンタール外縁で戦端が開かれた。

 戦いを前にして配られた数打ちの粗末な剣。
それが折れた後には敵から奪い取った槍。
また味方が放り投げてくれた新しい剣――アルクは、手にした武器を、それが何であろうと構わず振るい続けた。
 土塁の周囲には無数の剣戟が満ちている。だが、果たして彼の耳に届いているのは、鋼の刃を打ちあう音だろうかとリンネは思う。彼が聞いているのは刃の音ではなく、無数の銃声なのではないだろうか。
 そして、その中で、彼の身を案じ、彼を逃がそうとした兄と妹の声ではないだろうか。

 ――しっかりしろ、アルク! リズ、アルクを連れて奥へ!

 銃声。

 ――アルク……、あなたは逃げ、て……奥の、部屋へ……。

銃声。銃声の嵐。

(そう、アルク……あなたは古代書庫ですべてを失った……)
 祖国を。仕える主君を。友を。
 夜の砂漠を照らす冷たい月。その下で。戦いが終わる最後までに、気づいた者はいるだろうか。砂埃と血煙が舞う戦場で、蒼白となって戦い続けるアルクが、その目に涙を浮かべ武器を振るい続けていたことに。
 忘れることなどできるはずのない、現実となった悪夢に飲まれて――……。

  4

 戦い疲れたアルクが泥のように眠っている。
 灯りの消されたテントの中。
 窓代わりに開けられている天幕から月明かりが差しこみ、ほのかに照らしていた。リンネは寝台のそばで浮遊し、彼の寝顔を見ている。
 かすかに頬に残る涙の跡。
アルクの戦いは獅子奮迅と言っていいものだった。
たったひとりで大勢の夜盗を倒し、他の冒険家数人分の働きを見せ、盗賊団が退却して戦いが終わると同時に気を失って倒れた。アルクをテントまで運んでくれたのは、ステイシーと、戦いで負傷したジョバンニたちであった。
 ――見張りは続けなくちゃならんが、寝かせてやろう。こいつがいなきゃ勝てなかった。
ジョバンニは感心したように、どこか呆れたように言った。
今夜、ひとまず野盗を退けることはできた。
だが、まだ安全が確保されたとは言い切れず、しばらくは砂漠側に見張りを置いて、警戒を続けるという話だった。二人でアルクを寝台に寝かせ、テントから出ていくとき、ステイシーが言った。
 ――それにしても、アルクのやつ……なんで泣きながら戦ってたんだい?
 ――さぁな。
 肩をすくめるジョバンニに続いて、ステイシーもテントから出て行った。
 そして、今、リンネはアルクの寝顔を見つめている。
(……涙……。私は、泣いたことがあるのかしら……)
 泣く、というのがどういうことかは知っている。
 悲しい、ということも知っている。知識として。
古代書庫で過ごした数千年という時間、リンネはおよそ古今東西の書物を読み耽り、知識を蓄えてきた。だから、理解はできる。人は悲しいときに泣くのだと。けれど、精霊である自分に当てはめてみると、どうなのか。
(賢者様を亡くしたとき、私は泣いたのかしら……?)
 老賢者亡きあと、途方もない時間を一人で過ごしたせいか、そのあたりの記憶が曖昧になっていた。あるいは膨大に蓄えた知識に押しやられてしまったのかもしれない。自分はクリスタルの精霊だ。
人の理とは違う次元で存在している――だから。人と同じ感情があるのか、わからない。
 泣けたのならいい、と思う。
 老賢者はリンネにとって大切な存在だったから。
「切り離された別の世界と、八千年の時の隔たり……」
 どちらが遠いのか、とアルクは言っていた。
元いた八千年後の世界と、このルクセンダルクでは大陸の形すら違い、同じ国はひとつとして存在しない。いわば、それはもう、ここもまた別世界と言っていいのではないか、と。
 そう考えることもできる。アルクもそう思っていた気が、リンネはした。
「――――――――――…………」
 ふとアルクの口が動いて、小さく、なにかを呟いた。
「……? アルク?」
 目が覚めたのかとリンネは呼びかけたが返る声はない。寝言のようだ。
 じっと、その口元見ていると、また動いた。
 短い言葉、単語。誰かの名前。彼を庇って命を失った友の名か、あるいは戦死したという主君の御名か。
 なんにせよ、それは永遠に喪われたものの名だ。

 もしかしたら、アルクは、自分だけ生き延びたことを悔いてるのかもしれない。

 リンネがそう思ったとき、ふとテント内の空気が揺らいだ。
「……?」
 違和感を覚えて、リンネは周りを見回す。どこにも変化はない……いや、あった。眠るアルクの胸、首に掛けられたままの首飾り。〝奇跡の輝石〟、どれだけ離れていても、もう片方と交信のできる〝想いの欠片〟。
 ルクセンダルクに着き、何度、確かめてみてもなにも映すことのなかった、その石が。
 淡く光を放っていた。
 それだけではない、なにか、かすかにだが音がもれている。石から。音、それと声が。
 少しの間、リンネは固まっていた。
 だが、はっと我に返り、あわててアルクを揺り起こす。
「アルク、起きて……! 起きなさい!」
肉体的な疲労か精神的な負荷か。深い眠りについていたアルクはすぐには起きなかった。リンネの揺さぶりがどのくらい続いただろう、「……リンネ……?」目を覚ましたアルクはようやく身を起こそうとした。
「欠片が!〝想いの欠片〟が……!」


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